凡豆物語
ボンズ69年の歩み
●1927年(S2) 創業者柳生小五郎神戸に生まれる
●1943年(S18)太平洋戦争当時、16歳で海軍飛行予科練習生(予科練)を志願し、朝鮮の元山基地などで訓練、終戦を四国の観音寺特攻基地にて迎える。
●1948年(S23) 終戦後、いくつかの職業を経て、珈琲に関心を持ちはじめ、縁のあった奈良県で小さな喫茶店を始める。その際、焙煎豆などの仕入で出向く神戸で焙煎の基本的な技術を職人から学ぶ。
●1955年(S30) 店舗を奈良市内(現在地)に移すとともに、2キロ焙煎機を手に入れ、煎り豆の販売を始める。今でいう自家焙煎珈琲店だが、当時としては珍しく、奈良での自家焙煎の先駆けと言われている。夫婦二人で店を切り盛りした結果、次第に経営も順調に進み、焙煎豆と輸入食糧を専門に販売する店として定着する。当時奈良には大手輸入食糧の販売店はほとんどなく、卸販売先も増える。
●1975年(S50) 店の奥を喫茶コーナーに改装。以後、ボンズは、芸術家や、文化人の集まるサロンとなり、多くの人に知られるようになる。店は毎日賑わいをみせ、夫婦とスタッフとで忙しい日々を迎えるようになる。
●1978年(S53) 豆の販売量が増えてきたため、富士ローヤル製5キロ焙煎機導入
●1980年(S55)~ 店主50歳代、コーヒーカップの収集に東欧を数回歴訪。マイセンなどで、買い付けして持ち帰る。
●1987年(S62) 店主60歳、かつて、乗った飛行機をもう一度操縦してみたいと、大阪八尾空港に通い、セスナ機の免許を取得する。妻を乗せて関西上空から岡山方面へ数回遊覧飛行をする。
●1991年(H3)長年、店と家庭を支えてきた最愛の妻をガンで失う。それに伴い、喫茶コーナーを廃止する。以後、事業の主力を豆の焙煎と販売にしぼる。
●2002年(H14) 通信販売の増加もあり、さらに、大量の豆が焙煎できる大型富士ローヤル製10キロ焙煎機を導入。住宅地のため、環境に配慮し、排気ガスをクリーンにするアフターバーナーのついた当時最新の排煙装置も設置。
●2019年(R1) 店主92歳になる現在も、後進の指導に当たるとともに、自身も現役で焙煎を続けている。
●2020年(R2) 後継者(娘夫婦)を得て、創業者・柳生小五郎は引退、アドヴァイザーとなる。珈琲屋凡豆は今後も健在です。
●2023年(R5) 創業者柳生小五郎2月に96歳を元気で迎える。
店名の由来
エチオピアでは、昔も今もコーヒーの木のことを「バンまたはボン」と呼んでいるそうです。その昔、このボンがアラビアのイエメンにわたり、カーファと呼ばれるようになり、7世紀半ばにヨーロッパでカフェとなり人気を呼ぶようになりました。(出典 コーヒー研究家・井上誠氏による)珈琲屋ボンズ(Bon's)の店名は、この「ボン」と、平凡の「凡」に由来しています。コーヒーの原点を忘れず、人々が日常的に楽しむ飲み物、その意味でも、特別な嗜好品にしてしまうのではなく、品質は良くあれと努力しつつ、リーズナブルで毎日味わう平凡な豆でありたいという店主の思いを込めています。