オリンピックの開催は目前に迫ったというのに、コロナ感染は一向に衰えを見せません。立ち塞がる壁を精神論で乗り越えようと突き進む姿は、またしてもかと、かつての日本を想起させます。
今日は、私たちも、コロナワクチンの一回目を接種してきました。誰でも、できれば異物を体内に取り込むのは避けたいと思うものですが、仕事柄毎日多くの方と接する以上、それなりの効果があるとすれば、自分のためにも、またお客様のためにもしないわけには参りません。
さて、今回はちょっとお話を広げて、はずかしながら素人文明論をひとくさりしてみようかと思います。
ところで、今日のワクチン、RNAワクチンといって、ウィルスの遺伝子レベルで作用をするらしいのですが、このような遺伝子レベルでの治療や操作が難なく(難なくではないですよね?)できるようになったのもこの数年のことですね。また、ノーベル賞の山中先生のIPS細胞登場以来、様々な遺伝子操作による人体への再生治療も進んでいます。一方、宇宙へ目を向ければ、月はおろか、火星の上でロボットやヘリコプターが動き回り、金星や木製の様子も手に取るようにわかるようになってきました。また、地球と同じような条件の惑星発見によって、宇宙人に出会うかもなどという夢物語のような話が科学レベルでは本気で進行しつつあることも話題になったりしています。
20世紀以降、ミクロとマクロ、両方の最先端で、人間は新しい発見をし活動領域を広げてきました。そして、ついに人類は、神の領域とも思われてきた部分に手を伸ばし始めました。科学的探究心のたまものでもあり、その成果はすばらしく私たちの好奇心を満たし、人類の発展を促すものではあります。しかし、ここへきて、ふと不安になることもあります。果たして、人間が死ぬことができなくなったら人類はどうなるのだろうか、地球上での侵略戦争が宇宙に持ち込まれ、はたまた、地球外生命との戦いまでひき起こすようなことはないのだろうか、などなど、先々の人智の及ばない領域には何が待ち構えているのか、その不安は大きいはずですが、今のところ、科学の進歩が速すぎて、その功罪を人類史のレベルで検証している余裕はないようです。でも、このままいけば、いつかはその問題に突き当たらざるを得なくなる時が来るのでしょう。
宇宙そのものが何なのかわかっていないなかで、人類とは何なのか、宇宙の時間の流れの中で人の生死とはどういう意味を持つのか、単なる宇宙の塵なのか、方丈記のごとく、水に浮かぶ泡沫のように、かつ消えかつ結びて久しくとどまることのないものなのか、考え出すときりがありません。先日お亡くなりになった立花隆さんもそんなことに興味を持たれていましたよね。もっと、その先を聞かせて頂きたかったと、残念です。映画「2001年宇宙の旅」も興味深いテーマの作品でした。そして、果たして人類はその先に本当の幸福を見出すことができるのかという疑問に対するひとつの答えが、遥か昔の中国古典の荘子の寓話に見つけることができるというのも、最近の中国を見るにつけ皮肉なものです。
今日は少し大風呂敷を広げてしまいましたが、人生を半分以上使ってしまった人間の戯言とお聞き流しください。ではまたの機会に。
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