正方形の大きなガラスケースの中央に、30cmほどのその尺(物指)は、優雅に起立していました。ただ、今回は、実用的な目盛りなどは、はっきりとはせず、緋色の装飾の美しい尺でした。
今年もまた、正倉院展に行ってきました。平日の夕方でしたが、まだ会場は結構な人で混雑していました。今回は、メインの展示品を含め、染色関係やアクセサリーといったものが充実しているようでした。
さて、昨年も、尺に感動した話をここに書きましたが、今年も同じ場所に冒頭の尺がありました。そして、もう一つ、なんと、ガラス細工のアクセサリーの展示の中に、3cmほどのとても小さな透明なガラスの尺がありました。ちゃんと目盛りも刻まれているんですが、腰紐などに着けるアクセサリーなんですよ。かわいいと言えばそれまでなんですが、何か触発されるものがあり素人の私も思わず想像の翼を広げてしまいました。
尺は単なる道具ではなく、権威あるものなんではないか。実用使いでもあるが、天皇に献納するものでもある。それにあやかろうとするアクセサリーにもなる。なぜなのか。尺度というものは、モノの基準となるもの、つまり世の決まりの基を示すもの、それは、イコール皇帝のことであり天皇ということになるのではないかと。それ故、尺つまり物指は、権威の象徴の一つであり、珍重され大切に扱われ、献上品にもなったのではないかと。(なんちゃって解説、ワオッ!) 余談になりますが、大工の使う曲尺(指金)という直角定規に目盛りを振ったものがありますよね。建築には欠かせないものですが、かつては、今ほど精度が良くないので、棟梁の曲尺がすべての基準であり、他の大工は、それに従って曲尺を調整して仕事をしていたといいます。つまり、基準となるものを司ることは、すべての上に立つものということを物語っていますよね。
さて、今年も様々な記録文書に目を見張りました。当時の文字が完璧なのと、すでに今と同じ記録というものが確立していたことには想像以上で驚かされます。中でもちょっと感動したのは、奈良の各村々の記録の中に、「山添」、「添上」という文字があったことですね。この名称は、今でも山添村、添上郡、添上高校などと使われているものですから、これが、すでに奈良時代に誕生していたということは、いかに奈良時代から現代までが継続しているかを感じないわけにはいきませんよね。奈良時代が昨日のことのように思える一瞬でした。
それともう一つ、今回は工芸品の創作の解析や復元に関する展示が際立っていたように感じましたが、本当に恐れ入りました。というのは、ひとつは、当時の技術のレベルの高さに、そしてもうひとつは、それの探求への取り組みと、その復元に取り組みを続けている方々に、ですね。
というわけで、ことしもまた、招待状を頂き良いものを拝見させて頂きました。ありがとうございました。
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